指揮者-7 [オーケストラ]
今日は読響創設期に度々来日し我々オーケストラの為に尽力をつくしてくれたウィレム ヴァン オッテルローについてお話しましょう。
彼はオランダの ロッテルダムオーケストラの指揮者でとてもジェントルマンの雰囲気を感じさせるひとでした。
しかし実際にはとても情熱家でリハーサルの時はいつも真剣に忍耐強く音のチェックをしてくれました。
というのは読響は結成してまだ日が浅く、いろいろなオーケストラから引き抜いて集まってきた集団でしたので、皆優秀なのですが一匹狼みたいなところがあり、特に管楽器の人は自分の音程が正しいと信じて「違ってるのはお前だろう」と言う具合で、なかなか音を聴き合ってハーモニーを調整することが
困難なことがしばしばありました。
そういう時に オッテルローさんはひとりひとりの音程をチェックして時には舌打ちしながら我慢強く仕上げてくれました。
まだまだ何回も振ってもらいたいマエストロだったのですが1978年にオーストラリアで交通事故のために亡くなられました。非常に残念でした。
後で聞いたところによりますと大変なスピード狂でそれが原因の事故死だったようです。
指揮台に立ってるときにはそんなこと想像もできない人でした。
彼はオランダの ロッテルダムオーケストラの指揮者でとてもジェントルマンの雰囲気を感じさせるひとでした。
しかし実際にはとても情熱家でリハーサルの時はいつも真剣に忍耐強く音のチェックをしてくれました。
というのは読響は結成してまだ日が浅く、いろいろなオーケストラから引き抜いて集まってきた集団でしたので、皆優秀なのですが一匹狼みたいなところがあり、特に管楽器の人は自分の音程が正しいと信じて「違ってるのはお前だろう」と言う具合で、なかなか音を聴き合ってハーモニーを調整することが
困難なことがしばしばありました。
そういう時に オッテルローさんはひとりひとりの音程をチェックして時には舌打ちしながら我慢強く仕上げてくれました。
まだまだ何回も振ってもらいたいマエストロだったのですが1978年にオーストラリアで交通事故のために亡くなられました。非常に残念でした。
後で聞いたところによりますと大変なスピード狂でそれが原因の事故死だったようです。
指揮台に立ってるときにはそんなこと想像もできない人でした。
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